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2007年05月30日

「京都五山 禅の文化」展示作品

「京都五山 禅の文化」展 展覧会の構成と主な展示作品
足利義満600年御忌記念「京都五山 禅の文化」展
        平成館 2007年7月31日(火)〜9月9日(日)


第1章 兼密禅から純粋禅へ

 今でこそ京都には数多くの禅宗寺院がありますが、栄西が中国から帰って禅宗寺院を建立しようとした時には、保守的な大勢力である延暦寺などの反対にあいました。

 栄西は鎌倉に赴き、北条政子、源実朝等の帰依を得て再び京に上り、幕府の出張所、六波羅探題の隣に建仁寺を建立しました。

 また、京都の貴族でも鎌倉幕府に近い九条道家は、中国留学から帰って博多の承天寺にいた円爾弁円(えんにべんえん)を招いて東福寺を建立しました。

 これらの寺院では中国の禅を実践する一方で、密教や天台学もあわせて修めることで辛うじて保守勢力に許容されました。鎌倉時代後半、亀山天皇が禅に傾倒し、南禅寺を開いてからは純粋な禅が定着していきました。



重要文化財 無関普門坐像 (むかんふもんざぞう)
鎌倉時代・13世紀
京都・龍吟庵蔵

 東福寺開山円爾弁円の弟子で東福寺第三世、南禅寺の開山となった無関普門(1212〜91)の肖像彫刻です。

 目に疾患があったらしく、疣(いぼ)を含め個性的な表情が写実的に表わされています。

 肖像画は今回出品される南禅寺のもののほか、数点が知られています。

画像では三角形の目がやや誇張して描かれ、この彫像の方が真実味があります。この像を安置した壇の内部には石塔が置かれ、塔の下に銅製の骨蔵器が埋められていました。今回は、この骨蔵器も出品されます。


重要文化財 癡兀大慧坐像 (ちこつだいえざぞう)
鎌倉時代・14世紀
愛媛・保国寺蔵

 東福寺開山円爾弁円の弟子で東福寺第九世癡兀大慧(1228〜1312)の肖像彫刻です。

肥満した身体、にらむような表情は本展に出品される願成寺所蔵の肖像画と共通しますが、風貌はやや異なります。同じく出品される願成寺所蔵の遺偈ののたうつような筆致とあわせて、気骨ある人柄が偲ばれます。


重要文化財 一山一寧墨蹟 (いっさんいちねいぼくせき)
雪夜作 (せつやのさく)
鎌倉時代・正和4年(1315)
京都・建仁寺蔵
[展示期間:2007年8月21日(火)〜9月9日(日)]


 一山一寧(1247〜1317)は元(げん)の外交使節として来日、一時その意図を疑われ幕府によって幽閉されますが、後に執権北条貞時や後宇多上皇の帰依を受けて、建長寺や南禅寺の住職を務めました。

文人・能筆としても知られ、後世の禅宗の文芸に大きな影響を与えました。この墨蹟は自作の詩一編を記したもので、正和4年(1315)12月の年紀があります。一山一寧の草書を代表する作品です。


第2章 夢窓派の台頭

 夢窓疎石(むそうそせき)は、鎌倉時代末期に北条氏に重用され、当時政権がめまぐるしく交代したにもかかわらず後醍醐天皇、足利尊氏・直義の帰依を受け続けました。

 尊氏が後醍醐天皇の冥福を祈るために建立した天龍寺の開山として夢窓を招いて以後、足利家は夢窓一門の外護者として絶えず支援を続けました。

 そのため夢窓派は大いに繁栄し、京都五山の主流となったのです。相国寺を創建した足利義満は、その塔頭(たっちゅう)鹿苑院の院主を全国の禅宗寺院全体の統率者(僧録)とし、夢窓の弟子春屋妙葩(しゅんおくみょうは)をその初代としました。

以後鹿苑院の院主は夢窓派がほぼ独占しています。

僧録は将軍の外交や宗教政策の顧問のような役割をも果たしました。また、夢窓の弟子義堂周信(ぎどうしゅうしん)と絶海中津(ぜっかいちゅうしん)は五山文学の双璧と言われ、文化的にも大きく貢献しました


重要文化財 夢窓疎石像 (むそうそせきぞう)
無等周位筆 自賛
南北朝時代・14世紀
京都・妙智院蔵
[展示期間:2007年8月21日(火)〜9月9日(日)]

 南北朝時代の禅宗界を代表する名僧、夢窓疎石(1275〜1351)の肖像画です。

 この画像は数ある夢窓像のなかでも堂々たる大きさと精緻な描写から、最も優れた作品とされています。

作者の無等周位は夢窓疎石の弟子で、当時、彼の描いた夢窓像はたいへん高く評価されました。また十牛図や障壁画も描きましたが、彼の作品で現存するのはこの作品だけです。無等周位は南北朝時代の京都五山で活躍した禅僧画家を代表する人物で、本画像は貴重な遺品です。


重要文化財 春屋妙葩墨蹟(遺偈) (しゅんおくみょうはぼくせき ゆいげ)
南北朝時代・嘉慶2年(1388)
京都・鹿王院蔵
[展示期間:2007年7月31日(火)〜8月19日(日)]

 春屋妙葩(1311〜88)は、夢窓疎石に師事し、天龍寺や相国寺の住職などをつとめました。

 公武の帰依を受け、幕府の五山制度の確立に寄与するなど室町時代の臨済宗発展の基礎を築いた禅僧です。この墨蹟は死の2日前に書かれた遺偈で、字は歪み墨書はかすれていますが、禅僧が末期の力をふりしぼって弟子に伝えた言葉として、見る者を圧倒します。


九条袈裟(くじょうけさ)
田相 黄地四菱入り入子菱繋菊花文綾、竪条・横堤・縁 濃紺地雲龍丸文綾
元時代・13〜14世紀
京都・慈済院蔵
[展示期間:2007年8月28日(火)〜9月9日(日)]

 これまでほとんど展示されることのなかったこの袈裟は、天龍寺塔頭・慈済院の開山である無極志玄(むきょくしげん)所用と伝えられています。

 田相(でんそう)部は四菱を収めた入子菱繋の間に菊の花をあしらった黄地綾で、竪条・横堤・縁は黒味をおびた非常に濃い紺地に雲と龍の丸文を表わした綾が用いられています。特筆すべきは、同院所蔵の無極志玄の頂相(肖像)に、この袈裟とほぼ同じ文様が描かれていることです。無極志玄が着用していた袈裟が、現在も遺されていることはたいへん貴重です。


第3章 将軍家と五山僧
 鎌倉時代に中国にならって作られた五山の制度は、夢窓疎石とその門下が室町幕府と密接な関係を築くと、国家的制度として整備されました。

室町幕府第3代将軍足利義満は、五山の寺格を再編成し、相国寺に僧録司(そうろくす)を設けて、全国の臨済宗寺院の統括を図りました。

この章では、幕府による寺院の統制を示す文書や、相国寺の建立に関する記録などを展示します。

また、五山僧は、漢文の素養を生かして外交文書を作成するとともに、自ら使節となって外国に赴きました。外交史料集を編纂した瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)や、明への使節となった策彦周良(さくげんしゅうりょう)など中世外交の担い手に関する資料をあわせて紹介します。


重要文化財 足利義満像 (あしかがよしみつぞう)
土佐行広筆
応永15年(1408) 足利義持賛
室町時代・15世紀
京都・鹿苑寺蔵
[展示期間:2007年7月31日(火)〜8月19日(日)]


 図上に第4代将軍義持による応永15年6月の賛があり、6月25日の義満七七日(四十九日)仏事に使用された画像と考えられています。


剃髪して僧綱襟(そうごうえり)の衣を着け、肩に横披(おうひ)と袈裟をかけて上畳に坐り、手に檜扇と数珠を持つ法体像です。賛は北宋の徽宗(きそう)皇帝の三回忌に大慧宗杲(だいえそうこう)が行なった説法を引用したもので、書家・画家・収集家として著名な徽宗皇帝に義満がなぞらえられています。第3代将軍、義満の肖像画の代表作です。


重要文化財 明永楽帝勅書 (みんえいらくていちょくしょ)
明時代・永楽5年(1407)
京都・相国寺蔵
[展示期間:2007年8月21日(火)〜9月9日(日)]

 将軍足利義満は南北朝の合一を果たして国内の安定を確立すると、明に対して使節を遣わし、「日本国王」の称号を得て政権の国際的な認知と日明貿易による利益の確保を図りました。


この文書は、当時の永楽帝から義満に送られたもので、海賊の取り締まりに感謝し、遣使をねぎらって贈り物を託したことを述べています。龍を刷り出した大きな料紙と謹厳な文字が権威を示しています。



第4章 五山の学芸
 京都五山の禅僧たちは、宗教家や政策ブレーンとして活躍しただけではありません。

彼らは南宋・元の禅林における詩文の流行に影響を受け、また中国禅林のみならず日本の禅林においても儀式で必要とされる法語や疏(しょ)などを作成するための修練として、中国の詩文や、儒学・老荘思想等に関わる思想書、歴史書などを研究し、あるいは自ら詩文を詠みました。

このように中国の文学・学問・芸術を新文化として日本に導入し、あらたな文化を育む媒体となったのが五山僧たちであり、五山には如拙、周文、雪舟など、この時代の水墨画家を代表する画僧も現われました。ここでは絵画の新様式としての水墨画や、五山僧の詩集・注釈書などを紹介します。


国宝 竹斎読書図 (ちくさいどくしょず)
伝周文筆
文安4年(1447) 竺雲等連序・江西龍派等五僧題詩
室町時代・15世紀
東京国立博物館蔵

 本図は南禅寺の杲(こう)という禅僧が所持していた絵に、竺雲等連や江西龍派など、京都五山の名僧たちが詩文を寄せたものです。

水墨の技法により大気や遠近が巧みに表現され、小画面にもかかわらず広々とした余韻のある空間が描き出されています。相国寺で活躍した周文は15世紀の水墨山水画の典型を作り出した禅僧画家で、雪舟や岳翁もその画風を継承しています。周文筆と伝えられる作品は数多くありますが、本図は周文真筆の可能性が最も高いものです。


国宝 破墨山水図 (はぼくさんすいず)
雪舟筆
明応4年(1495) 雪舟自序・月翁周鏡等六僧題詩
室町時代・明応4年(1495)
東京国立博物館蔵
[展示期間:2007年7月31日(火)〜8月19日(日)]

  雪舟は室町時代の禅僧画家。京都五山第二位の相国寺で修行したのち、30代半ばで山口へ移り、大内氏の庇護の下で活躍し、応仁元年(1467)遣明使に随行して中国に渡りました。

この作品はかなり粗放な筆墨法で描かれており、中国・南宋末元初の画家、玉澗の画法に倣ったものです。本図には雪舟76歳のときに自ら記した長い序文がついています。


それによると、本図は雪舟が弟子の宗淵の求めに応じて描いたものであり、また、かつて中国に渡ったおり、首都(北京)で活躍する画家、長有声と李在に画法を学び、帰国後はわが祖、如拙、周文の見識の高さを知ったといいます。この時代、画家自らが記したこのような自叙伝風の記録が存在すること自体が珍しく、その意味でも貴重な作品となっています。



蔭凉軒日録 (いんりょうけんにちろく)
室町時代・16世紀
東京国立博物館蔵
[会期中頁替あり]

 『蔭凉軒日録』は、僧録司が置かれた相国寺鹿苑院の住職の補佐役「蔭凉軒主」が代々記した公用の日記。政治的、社会的な事件をはじめ、人物の動向や文化事象に至るまで幅広い記述があり、室町時代の基本史料の一つです。

東京国立博物館所蔵の写本は、もと仙台藩伊達家に伝来したもので、原本が関東大震災で焼失したため、室町時代にさかのぼる古写本として貴重です。



第5章 五山の仏画・仏像
 禅宗では仏像などに対する礼拝より、自らの中にある仏性という「ほとけ」を見出すための修行を重んじます。


そのため、禅宗寺院には仏像や仏画が少ないと言われてきました。


しかし密教寺院に比べれば少ないものの、禅宗寺院も武将や公卿などの帰依を得て建立された寺院である以上、本尊像や護法神像、法会の際に堂に掛ける画像などは少なからずありました。

その造形の対象は、「悟り」を重視するため、釈迦如来や羅漢、達磨、禅宗の祖師などが多くみられます。作風は中国の宋、元時代の作品に影響を受けた独特なものです。

仏画では東福寺に住んだ良全(りょうぜん)、明兆(みんちょう)、また仏像では院派仏師と慶派仏師のうち特に康俊(こうしゅん)の活躍が目立ちます。中国風の受容が鎌倉に比べて限定的なところに京都の保守性がみられます。


釈迦如来および迦葉尊者・阿難尊者像 (しゃかにょらいおよびかしょうそんじゃ・あなんそんじゃぞう)
南北朝時代・14世紀
京都・相国寺蔵

 京都五山第二位相国寺の本尊像。京都五山は罹災のため、創建当初の本尊はすべて失われました。

今、中世以前の像を本尊とするのは東福寺、万寿寺と相国寺です。この三尊像は、相国寺創建より早い時期の作であり、後世いずれの寺からか移されたものと考えられます。釈迦如来像は院派仏師の作とみられます。院派仏師は、天龍寺本尊像造立など禅宗寺院の造像に活躍しました。寺外初公開です。


重要文化財 寒山図 (かんざんず)
霊彩筆
室町時代・15世紀
東京・大東急記念文庫蔵
[展示期間:2007年7月31日(火)〜8月13日(月)]

 岩陰の道を、風に吹かれながら歩む寒山が描かれています。

霊彩は15世紀前半に活躍した画僧で、東福寺の画僧、明兆の弟子とみられます。仏涅槃図のような、大きな絵絹に岩絵具を塗って描く本格的な着色仏画を制作する一方、本図のようにすがすがしい、筆技の冴えわたる水墨画をいくつか残しています。霊彩は、筆線の美しさでは、室町時代随一の画家といえるかもしれません。



京都五山
京都五山とは、京都にある禅宗寺院の大寺を選んで第一位から五位まで格付けた制度で、中国にならったものです。五山は、時期により変遷がありますが、至徳3年(1386)足利義満が創建したばかりの相国寺を第二位とし、南禅寺を「五山之上」にした時に確定しました。


「社会・政治状況の中の諸芸術」をテーマに取りまとめております。
 厚生書店(こうせいしょてん)  
posted by 東京喜多見より at 23:16 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 東京国立博物館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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